連載記事 奥野麻衣子
第3回 気候変動と投資・金融・情報開示

本稿は月刊アイソス2019年12月号に掲載された奥野麻衣子氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 環境・エネルギー部 主任研究員 サステナブルビジネス戦略センター長)執筆の連載記事『環境ファイナンス分野における国際規格動向』第3回の全文です。(本誌編集部)

気候変動と投資・金融

世界気象機関(WMO)によれば、2015年から2019年の5年間の世界の平均気温は観測史上最も暑くなったという。大気中の二酸化炭素量も記録的に増え続け、その前の5年間に比べて20%も高い伸び率を示した。大気中の二酸化炭素はやがて海中に溶け込み、熱は海水へ移動する。IPCCの「海洋・雪氷圏特別報告書」によれば、温暖化の進行と海水温・海面水位の上昇により、熱帯低気圧による暴風雨の増加や高波が増え、生態系が影響を受け、今世紀にわたり漁獲高の減少や森林火災の増加、水資源や農業への悪影響があると予測している。

このような環境下にある社会経済において、企業は持続的に成長し、人々は人間らしい生活を続けられるだろうか。できるかもしれないが、30年後の2050年頃には、今と同じ状態ではいられない可能性が高まってきている。気候変動は人類が長い間享受してきた自然の恵みや安定した社会経済基盤を脅かしつつあり、私たちの孫は、私たちの知っている地球を知らない世代になるかもしれない。

ファイナンスは、企業を含むさまざまな経済主体が活動を行うために必要な資金を用立てる活動である。資金を用立てる側としては、基本的に投融資先の企業が利益を出して成長してくれなければリターンが得られないし、株価暴落が起こったり企業が倒産したりすれば資金を回収できなくなり資産が減ってしまう。だから企業が成長し社会経済が健全であることは根本的に重要なのだ。30年先は意外に近い。その頃地球の姿が変貌してしまうかどうかは、今の行動次第といえる。

元に戻れない甚大な影響を地球環境に生じさせないため、パリ協定では、今世紀末までに2℃未満か、できれば1.5℃に気温上昇を抑制することが目標である。しかし、各国が提出したGHG削減目標(NDC)をすべて達成しても、世紀末までに気温が3℃上昇してしまう。例えばわが国の長期戦略では2050年までに80%削減という長期目標を掲げているが、今のままでは不十分なのだ。グテーレス国連事務総長は、今年9月にニューヨークで開かれた国連気候行動サミットに先立って各国にNDCの強化を呼びかけ、77カ国が2050年までに実質排出ゼロにコミットした(日本やアメリカ、中国は含まれない)。去年の今頃はまだ、国や自治体が2050年までにゼロ排出を目標に掲げることは先進的な取組だったが、今やそれが必須ともいえる雰囲気が、国際社会に漂ってきている。

気候情報開示ニーズとTCFD

こうした気候変動対策の動きは、規制・政策の変化(多量GHG排出セクターへの上限規制、強制に近いエネルギー転換のプレッシャー等)や製品・サービス市場の変化(需要の変化、消費者意識と行動の変化、取引先要請等)に表れる。また、気候変動の影響そのものは、豪雨の影響を受けた操業停止や物流の寸断、熱波や多雨による作物被害や労働条件の悪化などに及ぶ。一次産品等の収穫量や入手可能性が原料価格を変化させる。新たな規制に対応するために大きな設備投資が必要になるかもしれない。不買運動や検査不正といった環境不祥事が収益を悪化させる。他方で、AI/IoT等の技術革新や製品需要の変化、規制強化等は、新たな需要を喚起したり、画期的なイノベーションをもたらし新市場開拓の機会となる可能性もある。今世紀末や30年後を待たずとも、気候変動問題は急激に、あるいは数年後の事業収支に影響を与えつつある。このため、投資家や金融機関は、キャッシュフローやバランスシートに効いてくる可能性のある要因として、気候変動に大いに着目し始めている。

しかしファイナンスの世界ではこれまで、GHG排出量のような非財務情報は経済的価値に反映されてきていない。どのような影響がどのくらいあるのか、何が重要な指標となるのか、投資・金融業者は情報を欲している。どのような戦略をもって、重大な気候問題が生じたとしても力強く生き残り、成長を続けられると経営者が考えているのか。気候変動対策の強化や世論の高まりによる事業環境の大きな変化にどのように対応し、産業転換期を乗り越えるのか。これを理解するため、投資家等は企業の情報開示と建設的対話を求めている。

他方、機関投資家や金融機関は、自らが上場企業として、また金融システムの安定を担う重要な市場関係者として、気候変動をはじめとする持続可能性リスクへの対応を説明し、情報開示することが徐々に求められつつある。パリ協定の第二条1.(c)にもある通り、資金の流れを低炭素経済への移行や温暖化への適応(気候変動に対して強靱な経済の実現)に向けて動かすために、投資・金融業界の行動は重要な役割を持つと認識されている。投資・金融業界が、自らの投資行動の影響を分析・評価し、気候問題対応の意義を説明するには、投融資対象となる企業や案件が開示・提供する気候関連情報が不可欠なのである。

TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)は、G20がFSB(金融安定理事会)に要請して設置された作業部会で、金融業界は気候変動問題をどう理解すべきか、どのような企業情報が必要なのかを検討し、2017年6月に最終提言を公表した。提言では、財務に影響しうる重要情報として気候情報を位置づけ、将来志向で気候変動対応に関する企業のガバナンス、戦略、リスク管理、指標・目標を開示すべきとされた。今や、この気候情報開示の枠組みそのものが「TCFD」と呼ばれている。TCFDに賛同する組織数は伸び続けており、特にわが国では非金融(産業界)の賛同が世界最多という特徴的な状態となっている(図表1)。だが開示の質の向上については、これからが正念場と言えるだろう。また、金融の賛同は比較的少なく、日本の投資・金融業界のこれからの行動が注目される。

ISO 14097(気候ファイナンス)の概要

ISO 14097(気候変動に関する投資・金融活動の評価と報告のための枠組みと原則)は、投資家及び金融機関が気候変動に関わる投融資を評価し、またこれについて報告を行うための一般的な枠組みを規定する規格である。つまり、本規格の主なユーザーは、産業界ではなく資産運用会社や年金基金・保険、銀行等の金融業界である。

本規格は、金融業者が行う投融資の意思決定が実体経済におけるGHG排出動向やレジリエンス(強靱化)にどのような影響を与えるのか、その投融資の意思決定は低炭素社会への移行や適応の道筋、気候変動に係る政策目標に整合しているのか、国際的な気候変動目標や各国の政策が株や債権といった保有資産の経済的価値にどのようなリスクを生じさせるのか等の評価・報告に関する指針を提供する(図表2)。2019年9月に委員会原案(CD)が登録され、10月1日から投票・コメントが始まったところである。

鍵となる部分は気候行動の影響評価の手法を示した箇条6〜9となろう。金融機関等が気候リスク開示を行うための枠組みを示した箇条13などは、EUの「持続可能な投資と持続可能性リスクに関する開示規則」案を踏まえているように見受けられる。以下に、規格の原則等から読み取れる重要な考え方の一部を、私見も交えつつ紹介する。

●パリ協定などの世界的な気候目標に沿っていること

今世紀末までに気温上昇を2℃未満にするためには実質ゼロ排出、できれば1.5℃に気温上昇を抑制するために2050年までに実質ゼロを目指すことが必要とされる。このような大幅なGHG排出削減は、エネルギー消費量を減らして効率化する省エネだけでは達成できず、エネルギーそのものの炭素排出係数を下げる必要がある。例えば、石炭火力発電は発電に伴う二酸化炭素排出量が多いため、CCS(二酸化炭素貯留)設備を伴わない新規石炭火力発電事業は行うべきでない、再生可能エネルギーへシフトしエネルギーの脱炭素化を図る必要があるといった議論が盛んになっている。

他方、これはISO 14097では触れられていないが、一般的には、社会的に公正な脱炭素経済への移行が必要とされている。例えば、石炭関連事業に雇用を依存している地域では、その地域に住む人々が適正に生計を立て続けられるように産業転換を進める必要があり、いきなり事業所を閉鎖して労働者を解雇するわけにはいかない。また、経済成長につれて新興国・途上国の電力需要は増え続けているが、発電量が追い付かなければ停電が頻発してしまう。あらゆる人々が安定的に必要な電力・エネルギーを持続可能な形で使える状態にすること(エネルギーアクセスの確保)は、社会的な重要事項であり、国連SDGs(持続可能な開発目標)の一つでもある。最終的に脱炭素経済への道のり(今世紀末までにGHG排出量実質ゼロ)に適切に向かっていながらも、その途中の過程ですべての人々が人間らしい仕事と生活を維持できるようにすることが「公正な移行」である。脱炭素ができない言い訳ではなく、一つの環境対策によって他の社会的悪影響を生じさせないためであるという説明責任が生じる。

●科学的知見に基づくこと

急速に進む国際的な合意や共通認識の形成の多くは、IPCC報告をはじめとする科学的な知見に基づいている。金融業者の気候戦略目標が具体的なポートフォリオの脱炭素化目標に落とし込まれ、投資先企業に求める具体的な削減目標へ落とし込まれる中で、目標は科学的知見に基づきパリ協定との整合性を評価できることが望ましい。金融業者側にも行動の成果を主張する際には収集された証拠に基づくことが求められる。しかし、気候変動問題は100年先を見据えた超長期的課題であり、推算の条件が変われば予測結果も大きく変わりうるという不確実性をはらんでいる。そこで、考え方としては最も悪い結果を想定してそれを回避する行動をとる、というリスクマネジメントが求められている。

●追加性

気候関連の投融資活動による効果は、それが唯一の主な要因でない限りは、投融資対象である経済活動が生み出すGHG排出削減量とイコールではない。例えば、株式投資の対象企業群に投資家が脱炭素の働きかけを行い、ポートフォリオ全体のGHG排出量が低減したとしても、それは投資家のエンゲージメント効果だけが理由ではない。また、再エネ設備投資を働きかけなかったとしても当該企業が入れ替えを行ったのであれば、それは金融機関の行動に追加的な貢献があったとは言いがたいだろう。

投資・金融業者の気候行動と企業への影響

企業に対して投資家・金融機関が取る気候行動には、例えば図表3がある。

これらの行動が、企業の意思決定に影響を及ぼし、パリ協定の長期目標などに整合した方向へと企業を動かす力を持ちうる。近年、ダイベストメント(投資引き上げ)とエンゲージメント(建設的な対話)に関する議論が盛んであるが、特定の産業や事業からのダイベストメントは投資家や金融機関にとって最後の手段である。株を売却し投資を引き上げてしまう前に、投融資先企業と対話し、気候変動問題を巡って起こりうる重大なリスクや、将来の成長につながりうる事業機会への対応戦略を確認し、必要と考えれば積極的にビジネスのあり方を低炭素型へと転換させるべく経営陣と話し合う。これにより、設備投資やR&D(研究開発)への支出計画、製品設計・開発や生産計画、オペレーション変更、法規制対応、サプライチェーン管理強化、調達変更といった短期的にはコストに見える事業計画を、中長期的に見れば将来のキャッシュを生み出す投資、あるいは甚大な損失を防ぐためのリスク管理と見なすことができれば、投資家はその資金を提供することに納得でき、企業は必要な資金を得て長い目で資産の保全を図ったり成長戦略に投資したりできるという良循環が生まれる。さらに長い目で見れば、持続可能な事業・企業が増えることによって、強靱な国土・健全な生態系が維持され、社会経済の安定的基盤が保たれ、地球温暖化による激甚災害を食い止めて国民の資産を守ることができるかもしれない。パリ協定が示す低炭素経済の実現成否が産業界と金融業界の効果的な取組推進にかかってきている。