連載記事 飯塚悦功
第2回 品質に関する正義(1)

1ヵ月というのは短いもので、あっと言う間でした。こうして1年間、締切に追われる月が続くのかと思うと、ちょっと暗くなります。でも、きっと、何人かの読者に「目からウロコ」と言ってもらえるに違いないと眠い目をこすりながら、続けます。

今回は、品質管理の中心的話題である「品質論」、すなわち品質に関する「正義」、品質に関してどのような考え方が「正しいのか」ということについて話題を展開したいと思います。少々長くなりますので、2回に分けます。先月予告した計画が早くも狂いそうで、連載は1年で終わらないかもしれません。

1. 品質中心経営

1.1 価値の提供

品質に関する「正義」の第一は、やはり「品質第一」と思います。すなわち、事業経営において、利益よりも、何よりも、品質をその中心に置くことです。この考え方は、古典的な経営論においても、現代の経営論においても、容易には受け容れられない、いわば異端とも言える考え方かもしれません。それでも私は、その真っ当さを伝えようと躍起になって40年も経ってしまいました。

組織は、その活動の主たるアウトプットとしての製品・サービスを顧客に提供し、それによって対価を得て、そこから得られる利益を再投資して価値提供の再生産サイクルを維持していると考えられます。この製品・サービスの品質を中心とする経営アプローチである品質マネジメント、品質経営について本格的に考察するのであれば、まずは製品・サービスと顧客を定義しなければなりません。すなわち、誰(顧客)に何(製品・サービス)を提供しているかを明確にしなければなりません。これが明確にならないと経営の目的が明らかにならないことになります。

誰に何を提供するかを明らかにすることは、実は案外難しいことです。私はいまJABにいますが、JABは誰に何を提供しているのでしょうか。これを過不足なく語ることは易しくはありません。JABの行動憲章はJABの顧客は社会だと言っています。では、社会に何を提供しているのでしょうか。

通常の工業製品を取り上げてみても、顧客に提供されているものは、実は、物理的実体としての製品を通して顧客に提供される価値であり、これが何であるか考察することは、まさに経営の目的を考えることにつながります。

有形の工業製品でなくサービスの場合に、製品は何かと問われると実に様々な側面があることに気づくはずです。例えば、レストランを考えてみて下さい。製品とは、料理だけでなく、食器も、お店も、給仕も含めたすべての総体です。私は数年前まで大学の先生でしたが、大学は誰に何を提供していると考えるべきなのでしょうか。私は学生を第一義的な顧客と思ったことはありません。社会あるいは親族から、入学してきた学生を有為な人物に鍛えあげてほしいと依頼されていると思っていました。したがって、大学教育における製品は入学時と卒業時の学生の能力・特徴の総体の差と考えるべきだろうと思っていました。学生はお客様でなく、投入材料に過ぎないと考えた方がよさそうです。だってそうでしょう、なるべく楽をして単位を取りたい、できれば苦労することなく「優」を揃えたいと思っている学生に、何で彼らの表面的なニーズに応える必要があるのか、と思っていました。授業アンケートの結果に、そのまま対応しようと思ったことはありません。学生は重要なステークホルダーではありますし、彼らのニーズに耳を傾ける必要はありますが、唯々諾々と迎合する気はさらさらありませんでした。

1.2 品質

品質とは「ニーズに関わる対象の特徴の全体像」と定義するのが良さそうです。これと同じ趣旨の定義は、ISO 9000シリーズの用語規格の最初の版ISO 8402:1986にあります。品質が考慮の対象についての特性、特徴の全体像を意味していることには異存はないと思います。この定義のポイントは「ニーズに関わる」の部分です。品質について考慮の対象としたもの、それが製品・サービスであれ、システムであれ、人であれ、プロセスであれ、業務であれ、何であれ、その対象に対するニーズに関する特徴・特性に関心があります。

ニーズとは、誰のニーズでしょうか。第一に考えるべきは、顧客、すなわち提供する製品・サービスの受け取り手がその製品・サービスに対して抱くニーズです。提供側でなく、価値の受け取り手が関心を寄せ何らかのニーズを抱く、その特性に関する全体像、これが品質の意味なのです。

このような品質の定義には、実は深遠なる意味が隠されています。それは、品質の良し悪しは「外的基準」で決まるということです。製品・サービスの提供側から見て、その受け取り手という外部の価値基準によって決まるということです。外的基準で判断するということはすなわち、物事を「目的志向」で考え行動することに他ならないと思います。製品・サービスの提供にあたって、外的基準に適合するという目的のためにすべての行動がなされるべきであるということが示唆されているのです。自分の勝手な価値観でなく、目的に照らして自分の活動が妥当かどうか判断するという行動様式が推奨されています。品質管理が広範囲に適用されてきた理由の一つは、品質がもつこのような基本概念にあると思っています。

1.3 品質中心経営

品質管理においては、経営における品質の重要性を強調し、品質を中心とする経営を推奨します。組織はそのアウトプットである製品・サービスを顧客に提供し、それによって対価を得ようとするのですから、製品・サービスは、顧客のニーズ・期待に応えるような特性・特徴を有していなければなりません。この意味で、製品・サービスの品質が良いこと、すなわち顧客ニーズに適合することは、経営の目的そのものであり、経営においては製品・サービスの品質を中心に置くべきです。

品質を経営の中核に位置づける根拠は、品質の根元性にあります。品質は製品・サービスのあらゆる特性に影響を与え、品質問題に見えない問題も実は品質に起因することが多いことは経験なさっているでしょう。品質に問題があって原価高になり、品質に問題があって開発納期に遅れが生じます。品質ロス、とくに目に見えないロスは、それが外部ロスであれ内部ロスであれ、極めて重要です。売上の減少という目に見えない外部ロス、将来への技術的投資のための人的リソースが失敗の手直しにより失われる機会損失という目に見えない内部ロスの重大さは想像に難くありません。

そもそも組織・企業を設立し活動する目的は、顧客に価値を提供するためですし、その目的を達しているかどうかが、品質が良いとか悪いとか表現されているのですから、製品・サービスに内包され、製品・サービスを通して提供される価値に対する顧客の評価としての品質が経営の中心であるのは理の当然です。

2. 顧客満足

2.1 顧客は分かっていない?

品質はニーズに関わる特性の全体像なので、品質とくれば「顧客満足」とこだまのように返ってきます。でも、とくに、素人であり、ときに身勝手な要求をする顧客の要求・ニーズに応えることが、なぜ「正義」と言えるのでしょうか。このことを改めて深く考察したのは、恥ずかしながら今世紀に入ってからでした。それはある医療従事者との対談のとき、品質論においてなぜ「顧客満足」が正しいのかという素朴な疑問を投げかけられたことがきっかけでした。

私は、品質管理を学んだ最初から、品質とは、顧客(使用者)の満足度(customer satisfaction)、使用適合性(fitness for use)だと教えられました。品質の良し悪しはお客様の評価で決まり、提供する側の評価で決まるものではないと言うのです。こう説明されて何の疑問も持ちませんでした。こんなことは品質管理の基本、品質論の原点で、私は、それこそ何の疑問もなく「品質とは顧客満足である」と信じてきました。ところが、医療分野への品質管理の適用に関して対談をしたときに、なぜ「品質=顧客満足」なのかと聞かれたのです。

対談の相手は、エイズ(HIV)のコーディネータです。当時は、まだ製薬業界が治療薬の開発に血道を上げているときでした。命に関わる病気で、患者は経済的にも社会的にも弱者が多く、国としても医療提供者との通訳兼ソーシャルワーカーを設けて支援の手を差し伸べていました。その彼女が、雑誌の対談で、私に「なぜ顧客満足なのか」と聞くのです。

彼女は「顧客とは患者ですね」と確認します。医療における顧客はいろいろ考えられますが、まずは患者と考えてよいでしょう。患者の家族、代理人、はたまたこれから患者になるかもしれない地域住民も顧客と考えられますが、第一義的な顧客は患者と考えられます。それを踏まえたうえで、彼女は、医療にはすごい情報傾斜があって、そのお客様は医療のことをほとんど知らないけれど、それでも顧客満足は正しいのか、と聞くのです。

ちなみに「情報傾斜」とは、持っている情報に大きな差があるということ、つまり医療について、医療提供側のほうが断然よく知っているということです。医療の素人である患者が、コロコロ気持ちを変えて、ときに大声で勝手なことを言ったりするけれど、どうしてそんな人が満足するようにしなければいけないのかと聞くのです。挙げ句の果てに、彼女は、患者さんの中には「苦しい。殺してくれ」という人がいるけれど、望み通りに殺してはいけないのですよね、なんて意地悪なことまで聞いてきます。(きっと私はイジメがいがあったのでしょう)

2.2 「顧客満足」は正義と言えるのか?

良く考えてみれば、情報傾斜があるというのは医療に限りません。通常の製品・サービスのほとんどは、その品質の良し悪しについて、提供側の方が正しく判断できるのではないでしょうか。それでもなお、お客様を尊重しなければならない理由はどこにあるのでしょうか。顧客満足、顧客志向、顧客重視が「正義」である理由は何でしょうか。

私は最初、プロである医療提供側が患者の真のニーズ・期待・希望を斟酌すべきという意味だ、と受け流そうとしました。プロとして、顧客の言っていることと思っていることの違いが分からなければダメだ、とも言いました。顧客満足というのはお客様に迎合することではなく、お客様の言動から「この人はどんなことを望んでいるか」ということを斟酌しなければいけない、なんて逃げを打ちました。

その賢い(そして少し意地悪な)エイズのコーディネータは納得しませんでした。それにしてもなぜお客様優先なのか、なぜ正しい判断ができないかもしれないお客様の意見を尊重するのか、と素直に食い下がってきます。私は答えに窮してきました。生放送の対談でなくて助かりました。

こういうときは、舌鋒鋭い方の頭の中に構築されている論理の鎖を断ち切るしかありません。いきなり拍手をして、どちらの手から音が出たかと聞いたのです。場面がガラッと変わって、「何が始まるの?」と驚きます。それが付け目です。

で、禅問答を知っていますか、と聞きました。「双手を打ちて、隻手の声を聞く」、2つの手を打って、片方の手の音を聞くという禅問答がある、と言いました。禅問答では公案といいますが、このお題は、物事はすべて1つでは成立しないとか、ものの見方は多面的だとか、いろいろディベートできるのですよと、まずはこちらのペースに引き戻しました。

そして、こんな禅問答もあります、と言って「誰もいない森で木が倒れて音がした。それを音がしたといえるか」という公案を持ち出しました。この問答の意味は、たとえ誰もいなくても、絶対的な存在とか絶対的な真実、事実というのがあるという考え方もあれば、誰かに認知、認識されていなければ無きに等しい、意味がないという考え方もある、つまりは絶対的認識論、相対的認識論についてのお題だと説明しました。

20世紀最大の経営学者ドラッカーを読んだ方は、微かに覚えているかもしれません。あの原書800ページにも及ぶ“Management”という大部の本の38章だったか、確か「データと情報」という章の冒頭のつかみに使われていました。この章の趣旨は「情報とは意味のあるデータ(事実)」ということです。脇道にそれすぎますので、この話題はこれまでにします。

2.3 取引における正義

そのうえで、彼女に「品質とは何でしょう?」と問いかけました。品質とは、製品・サービスなどを通した価値の移動があったとき、その価値の良し悪しについての評価と考えられます。顧客満足が正義であるという論拠のミソは「取引」にあると言いました。

取引において価値が移動します。取引は、価値の受け取り側が「ウン」と言わなければ成立しません。だから認めてもらわなければ、そして良いと言ってもらわなければ、話が始まりません。品質とはその価値に対する評価ですから、良し悪しはまずは受け取り側が決める、これが顧客満足の原理だ、と説明しました。正直に申し上げて、説明としては少々苦しいのですが、こんなところでごまかしました。

私自身、こう説明しながらも、受け取り側がどんなに愚かでも、裸の王様でも、心変わりが激しくても、それでもその評価を尊重しなければいけないというのは、イマイチ納得できないなあ、なんて密かに思っていました。

だって、無知蒙昧に由来する無茶な要望、公序良俗に反するニーズなどに応えるのは、それこそ社会正義とは言えないですから。私は、東大での最終講義で品質について語ったとき、「エロ本とかポルノは品質が良いか」、つまり一部の方が強く望もうと、それを提供することによって大きな満足を与えることができても、それで品質が良いとは言いたくないと申しました。講義後に、言おうとしていることは良いが如何にも例が不適切であると、謹言実直な先生にひと言嫌みを言われてしまいました……。

ここまでひどくなくても、ニーズ・期待の表明をコロコロ変える朝令暮改や、矛盾する要望を平気でまくし立てる方もいますので、「顧客満足」の意味を浅薄にとらえてはいけないとは思っています。

「顧客満足」の思想で重要なことは、とにかく受け取り側がどう思うかということを先に考えるべきだということだと思います。提供側が、現実にどのようなものを提供するかは、また別の問題だと考えてもよいと思います。お客様の評価がおかしければ、提供側の見識をもって、「そうはいってもこちらでしょう」と誘導してもよいのではないでしょうか。

「とりあえずは、お客様がどう思うかを第一に考えることが重要だ」というのが顧客満足の真意であり、その意味で、これは取引における「正義」であると思います。一筋縄ではいかない難しい正義ではありますが。

3. 顧客は誰か − 顧客の多様性

3.1 購入者と使用者

「顧客満足」という思想・行動原理が品質論における「正義」であることを認めるとしても、次に、その満足を与えるべき「顧客」は誰なのかという問題に直面します。

製品・サービスを通した価値の提供という簡単な図式では、顧客とは、その価値を、対価を支払って入手した者ということになります。しかし、一般的には、顧客、すなわちどのような製品・サービスであれば満足するのかということを考慮すべき主体は、実に多様です。この簡単な図式で、顧客とは、いわゆる顧客(customer、お金を払って買う人)なのか、それとも使用者(user、実際に使う人)なのかという疑問が生じます。もちろん一致することもありますが、通常は、その両方を考えねばなりません。

例えば、オジサンがゲーム機を買うとします。使うのは中学2年の息子です。顧客は誰でしょうか。買ったオジサンでしょうか、使う中2の息子でしょうか。答えは簡単です。もちろん両方です。あらゆる製品・サービスには少なくとも買う人と使う人がいます。どうすれば顧客満足を与えることができるかを考えるとき、購入者だけでなく、使用者についても考えなければなりません。

もっとも、ゲーム機を買ったオジサンのなかには、買ってきたゲーム機を息子に渡すことなく、熱中してしまうこともあり、ことは単純ではありません……。オジサンが遊んでいるうちは、購入者と使用者が同じ人というわけです。そのうち、家族の皆が遊ぶようになるでしょうから、ゲーム機の商品企画・設計をする人は、購入者ではない使用者もまた顧客であると考えて、ゲーム機の品質設計をする必要があります。

ギフト商品の顧客は誰かという問いもおもしろいと思いませんか。少なくともそのギフト商品を購入して贈る人とそれを贈られる人がいて、両方とも顧客と考えるべきです。ギフト商品の品質を考察するときには、贈る人、贈られる人の双方にどのようなニーズがあるか、どのような製品であれば満足するかについて考えなければなりません。贈り主は、あまり高価ではなく贈る人のセンスの良さが現れるものがよいと考えるかもしれません。贈られる人は、自分で買うことはないけれどちょっと興味のある気の利いたものがよいと思うかもしれません。

3.2 多様な顧客

B to Bのケースで、部品・材料を納入する協力会社の顧客は納入先ですが、その納入先の誰が顧客なのか考えるのは、非常に教訓的な面白い問題です。納入先には、いろいろな部門、いろいろな人がいます。例えば、常にコストを5%下げろとしか言わない叩きの購買部門、その部品を使う製造工程でトラブルが起きると困ると考えている生産技術者や生産ラインの管理者、部品の品位がよいと設計の自由度が上がり安心して使えると考えている設計技術者などいろいろ考えられます。

もちろん、そのすべてを顧客と考えるべきなのですが、それぞれのニーズは相当に違います。どの顧客のニーズを重視するか、難しくも興味深い話題に違いありません。とにかく、いつでもどこでも、顧客はいろいろ考えることができて、顧客によって提供しなければならない価値は違うかもしれないと考えなければなりません。顧客によってニーズが相当に違い、しかもそれらを同時に満たすことが技術的に不可能なら、品種を増やすという選択肢もあります。

B to C、つまり普通のコンシューマープロダクツ(市場型商品、消費財)の場合、やはり顧客は多様でしょうか。2つの意味で多様と言えます。一つは、いわゆるマーケットセグメントという考え方です。ニーズの相違によっていくつかの品種、製品・サービス系列を考える必要があって、それらの顧客タイプごとにニーズが異なるというものです。分かりやすいのは車でしょう。ラグジュアリーカー、エコノミーカー、スポーツカー、ミニバンなどでは、明らかに顧客層が異なりますし、ニーズが異なります。

もう一つは、提供する製品・サービスのサプライチェーン、ライフサイクルの各過程に多様な顧客がいるという考え方です。例えば、家電製品を考えてみて下さい。まずは買ってくれる顧客がいます。ところが街の電気屋の親父さん、修理する人、運ぶ人と、製品に関わる様々な人がいて、製品に対して様々なニーズを持っています。廃棄のことを考えると、社会、自治体、次世代もまた顧客と考えられます。どこで誰がどんな価値を見出し、「こっちがよい」と言うか分かっていないと、まともな商品企画、製品設計はできません。

3.3 学生は顧客か

このほかにもどう考えるべきか難しいケースがいくらでもあります。建築、放送、電力供給、学校教育、医療の顧客は誰でしょうか。例えば、私は学生を顧客と思ったことはないと前述しました。授業アンケートなんていう仕組みがあって、学生が先生の授業を評価しています。昔は休講なんていうと大喜びで雀荘に駆け込んだものですが、最近では不満を漏らす学生が多いそうです。授業料を払っているのだから、その分きちんと授業をすべき、ということなのでしょう。私も授業アンケートの経験がありますが、ほとんど気にしませんでした。人の話をまともに聞いていないし、欠席勝ちなのに、「普通」とか「理解できなかった」なんていうところに印をつけて提出する学生も少なからずいるのですから。

私は学生をお客様だと思ったことはありませんが、利害関係者とは思っていました。このことも上述しました。私には、学生を親元から預かり鍛え上げて社会、企業へ送り出す責任があります。だから顧客は社会です。学生は、価値を付与すべき処理対象と考えていました。私は、一応、国立大学にいましたから、なおさら顧客は社会と思っていました。学生に「お国のために頑張れ!」と言って、「お国ってなんですか」と怪訝な顔をされてゼネレーションギャップを感じたこともあります。

大学の性格によっては、両親が顧客と考えてもよいかもしれません。でも学生本人は絶対に顧客ではないと思います。自分で学費を払って通ってくる苦学生なら顧客と考えてやってもよいですが、親のスネかじりは顧客とは思いたくありません。

とにかく、顧客を定義することはそれほど易しいことではありません。誰のほうを向いて仕事をすればよいのかを左右しますから非常に重要ですが、適切に判断することはとても難しいことだと思います。

3.4 社会的品質

顧客として、購入者、提供者以外の第三者を考えることもできます。製品・サービスが作られ、使われ、廃棄される際に影響を受ける人々も、顧客と考えて製品・サービスの企画・設計を行わなければならない場合もあるという意味です。実はこれは、「社会的品質」という概念です。この考え方は、公害問題が発生した1970年代に一般的になりました。例えば、自動車の排気ガスについて、大気を汚染してもよければ排ガスを気にしなくてもよく、安くて性能のよいエンジンを作ることができて、エンジン性能の点だけでいえば購入者も自動車会社も満足に違いないのですが、社会(地球環境)はそうはいかず、自動車会社は、排ガス規制に適合した製品を提供する義務があります。

1970年代の環境ブームは数年で萎みました。しかし、現在では、環境に関する配慮、それを実現できる技術は、まさに競争優位要因と言えます。環境に配慮した製品であるかどうか、顧客がきちんと評価する時代です。

1990年代の初めごろ、環境配慮設計に対する市場の反応の調査に非常に興味深いものがありました。他の性質は同じで環境に配慮した製品があるとき、価格がどのくらい高くても買うかという調査です。例えばドイツでは、製品価格が3〜5%高くても、約半数の人が環境配慮製品を買うと答えたそうです。当時の日本で「3〜5%高くても買いますか」と聞いても、ほとんど買いませんでした。環境配慮国家ドイツでは、顧客がそういう製品を評価したということです。現在の日本では、半数以上の人が買うと言うのではないでしょうか。いや景気が悪くなったのでダメかもしれません……。もう少し豊かで、社会正義の確立した国であれば、市民はそんな反応を示すことでしょう。すると、そういう製品を作れること自体が競争優位要因になります。

こうした意味での社会的品質にもっと関心が高まり、直接の顧客以外に関心を抱く層がいるかもしれません。直接製品を買わないいろいろな人が「見ている」のです。その製品がどのようなものであるかということを。こんなところにも顧客がいるとなると、製品・サービスの企画・設計には深慮が必要です。

4. 後工程はお客様

4.1 おみこし社会からの脱却

品質論に関連して、「後工程はお客様」という興味深い格言があります。私がこの格言に初めて触れたのは40年以上前です。品質管理の基本的な考え方のうち「品質」概念について学ぶ過程で知りました。私は、このとき、ある組織が、組織全体で組織目的を効果的効率的に達成しようとするとき、組織を構成する個人、部門、グループが、全体目的を達成するために、自律分散的に思考し行動できるようになる基本原理になりうる点に感動を覚えました。こんな子供だましの格言に、それを読み聞く人の理解力によっては、これだけの意味を含ませることができるのか、と感動しました。

話はこうでした。顧客(使用者)に対する品質を経済的、効率的に達成するためにどうすればよいか。最終工程で確認するというのは効率的でない。組織の全員が品質にかかわるのだから全員が頑張ったらよい。だが「全員でやる」というのは、通常は「誰もやらない」と同義語である。自分一人ぐらいやらなくもよいだろうと皆が考えるから。それなら、各工程(プロセス)が次の工程に自分の工程の「製品・サービス」の品質を保証するということを繰り返せばよい。これが「後工程はお客様」の考え方の基本だと言うのです。そう、日本の社会の特徴として「おみこし社会」を挙げることができるかもしれません。わっしょい、わっしょいと進んで行きますが、中には、ぶら下がっている人もいるけど、そのうち気を取り直して担ぐ、というのです。個々人の責任を明確にせず、何となくことが進んでいく、不思議な社会というわけです。

これだけの話ならどうと言うことはありません。でもここに、組織を効果的・効率的に運用するための深遠なる示唆が含まれているというのです。「品質とは顧客満足」というが、満足を与えるべき顧客は最終の顧客ばかりではなく、そこにつながる途中にある自分の仕事の結果の影響を受ける人々すべてが顧客と考えて自分の仕事の品質を保証するのがよい、と教えているというのです。

私は、品質概念のうち最も重要なものは、顧客志向、すなわち自分ではなく顧客の価値基準で自分の成果物を評価するという考え方だと思っています。この考え方を組織全体に広める格言、これが「後工程はお客様」であると認識し高く評価しています。

この格言によって、一人ひとりが、「私のお客様は誰か。私は、直接、誰にどのような価値を提供しているのか」と考えるようになるでしょう。組織全体で外部のお客様に製品・サービスを通して価値を提供しているわけですが、組織の構成員一人ひとりが、そのなかでどのような位置づけにあるか、それを考え直してみる良いきっかけになるでしょう。

ときに他部門の人は敵になりますが、それを回避できるかもしれません。人は、責任回避のため、自分を守るため、他人を責め非難することがあります。そうしないと自分が危ないですから。でも、それとは異なる価値観、行動基準を取り入れたいと思います。人を責めるばかりでなく、自分のお客様が誰で、そのお客様が望んでいるものを確実に提供するように、全員が考えて行動するようにしたいものです。それが実現したときの、この組織の強さ、効率を想像してみて下さい。これが「後工程はお客様」の深遠なる意味です。

若いころ私は、経理の方と経理がなすべき仕事について議論したことがあります。経理の重要なお客様は経営者のはずです。彼は、いつもと同じ書式で、いつもながらの集計をして、会議に間に合うようにこなしていました。でも、お客様である経営者は満足していませんでした。「もっと早くほしい。ラフでいいから、○○の状況を垣間見ることができる分析をしてほしい」と言ったところ、これを契機に月度の収益会議の様相がガラリと変わりました。

設計部門は、もちろん外部のお客様に売る製品の設計をします。でも内部にもお客様がいます。例えば、生産技術や生産部門です。その設計で作りにくかったらどうなるのでしょうか。妙な設計にしたら導入したばかりの設備が使えなくなってしまうかもしれません。あるいは、段取りが増えて設備生産性を落とすことになるかもしれません。設計者にとってのお客様には、もちろん製品の利用者である外部のお客様もいますが、組織内部にも大勢います。すべての関係者に対してバランスを取らなければなりません。「良い設計とは何か」を考えなさいという問でもあります。

あらゆる業務について「良い仕事とは何か」を自問するきっかけになりそうです。これによって組織が一丸となって全体のために自分が何をしなければいけないかを認識するようになっていくことを期待できます。

4.2 アメリカの理解

バカげた格言に見えますが、これが多大な効果を生みました。例えば、1980年代半ばに日本のTQC(Total Quality Cotrol;総合的品質管理)に異常な関心を寄せたアメリカに伝わって、大きな影響を与えました。日本人は英語が得意でなく、最初“Next process is my customer”と言っていたそうです。すると「いや、お客様のお客様もお客様だ」ということで、“Next process are our customers”と複数形の表現に変えられました。まあ、これは小さなことで、実は、このどうということのない格言がアメリカで2つの重要な概念を生むきっかけになりました。

一つは“internal customer”、すなわち「内部顧客」という概念です。Customerというと第一義的には外部の顧客で、組織全体にとってのお客様です。ところが、お客様とは価値を提供する対象であると考えると、内部にもいるとの再認識です。内部の顧客に対してもまともな価値を提供すべきという考え方です。

第二は“process owner”(プロセスオーナー)です。お客様に満足を与えるため、オーナーとして自分のプロセスをきちんと運営するということです。オーナーシップという概念を、アメリカ人は日本人が考えているよりずっと大事にします。支配・管理されているのでなく、自分に主体性が認められているという感覚です。この感覚によって、一人ひとりの役割がはっきりしてくるという現象が起こります。私は1980年代の終わりに、アメリカで最初にデミング賞に挑戦した会社の審査に行きましたが、大男が汗をかいて「I am proud of ….私はこんなことをして非常に誇りに思っている」みたいなことを言っていました。自分が担当する業務なりプロセスのオーナーシップを持っているというのは、そういうことなんだなぁと感慨深く思いました。

実に深遠な格言と思います。「後工程はお客様」という概念、行動原理から、一人ひとりが頑張って価値を生み出す連鎖が構成され、全体が有機的に動き始めるという現象が起きるということです。これは組織内にとどまらず、組織外のサプライチェーンを含めた価値創出ネットワークという概念にまで広げられます。それをSCM(Supply Chain Management)と言おうが、Value Network(価値ネットワーク)、Value Chain(価値連鎖)と言おうが、はたまたビジネスモデルと言おうがどうでもよいですが、ある組織体、グループを構成する関係者がどのような役割を果たさなければいけないのかを考察するよい問いかけになると思います。

「ビジネスモデル」というのは、いろいろな意味に使われますが、その本質は、価値提供連鎖、価値ネットワークの理解にあると思っています。広義の取引によって、最終的にどこかに価値が移動して、その対価として経済的に何かが動きます。それがうまく動くようになっているかどうか、しかも自分にも少しはメリットがあるような構造はないだろうか、ということを考える、これがビジネスモデル設計というものです。

4.3 品質管理の中心的考え方の凝縮

「後工程はお客様」とは、結局、自分の工程(プロセス)の品質(=後工程に提供する価値)を明らかにし、価値提供の妥当な方法を明らかにし、それを実施して満足を与えるという考え方です。各工程の改善・改革という視点からは、各工程がその不十分さの原因を追究し、低減を図ることを、すべての関係者に求める考え方です。

このような格言を使って、全体のために個々が自律分散的に機能する、という姿に近づけないだろうかと夢想してしまいました。私は、「後工程はお客様」という表現には、品質管理の中心的な考え方である「顧客志向」「全員参加」「プロセス重視」「改善」がすべてさりげなく凝縮されていると思います。

「お客様」という用語を使っているのですから、「顧客志向」が含まれていることは言うまでもありません。各人は組織において何らかの働きをしているわけですが、顧客という概念を持ち出すことによって、誰のために、何のために存在し活動しているのか考え直してみようというわけです。顧客は多様ですから、それが具体的に誰であるのか考えることになります。当然、横への広がり、すなわち、顧客のタイプによって提供すべき価値が異なるとか、縦のつながり、すなわち、顧客のサプライチェーンのすべてにどのような価値を提供するのか考えることになり、これが、自分の仕事のアウトプットを起点とする価値提供連鎖の全貌に対する考察を促すことになるでしょう。

「全員参加」「プロセス重視」「改善」については、2〜3ヵ月後に触れる予定でまだきちんと説明はしていないのですが、感覚はご理解いただけると思います。

「全員参加」とは、この格言が、組織を構成するすべての要員に対する問いかけとなっており、全員が自己の立ち位置を認識し、組織全体のためにある一定の役割を担うよう動機付けられるという意味です。この格言によって、組織の要員のそれぞれが、組織全体・システム全体の価値提供連鎖における役割や位置づけに対して再認識し、それぞれが組織運営に関与することにつながるでしょう。この格言は、一人ひとりが組織の最終目的との関連において自己の業務の意義を理解し、その責任を果たしたときに、組織全体として効率的に目的が達成できるという教えなのです。

「プロセス重視」とは、この格言を具現化するにあたり、自己の仕事の質を保証するために、その要因系である自己の仕事のプロセスを見直し、望ましい結果を得るために必要なプロセス条件(良品条件)を知り、その根拠を知って定められた標準通りの仕事をすることを推進することになるという意味です。

そして「改善」とは、後工程であるお客様に対して、望ましくない自分の仕事のアウトプットが提供されたとき、問題の原因を自らの仕事のプロセスの不備に求め、これを改善していく活動につながるという意味です。

この格言から、アメリカが、内部顧客(internal customer)とプロセスオーナー(process owner)という概念を生み出したというのも納得できます。組織内部にも自分の仕事のアウトプットを使う人や部門は数多くいます。もちろん外部にも大勢います。これが価値提供連鎖という意味でのビジネスモデルというものだということを理解したということではないでしょうか。また、自分の仕事のアウトプットを生み出すプロセスは、もちろん自分が実行しているのですが、なぜそうしなければいけないのかという根拠を知り、どうすれば良い結果が得られるのか、その因果関係を知って行うべきだし、もし不都合があったら、自ら分析し、改善すべきであり、そうすることが正義であると考え、これが自己の業務プロセスに対するオーナーシップ(ownership)をもつことだと理解したのでしょう。

問題

さて、「品質に関する正義」の前半はいかがでしたか。以下の問いかけにどう答えますか。

[1] 経営において品質を中心に置くべきとの説明に納得できますか。

[2] 「顧客が正しいとは限らないけれど、その期待を尊重すべきである」という意味での「顧客満足」という考え方を受け入れられますか。この考え方を、あなたが関わっている事業でどのように応用しますか。

[3] 顧客は多様であることを、「顧客のタイプ(マーケットセグメント)」と、「顧客のサプライチェーン」の2つの視点で、あなたが関わっている事業について考えてみて下さい。

[4] 「後工程はお客様」の深遠なる考え方の意義に賛同できますか。あなたの業務について、価値提供連鎖を考察してみて下さい。あなたが提供すべき価値の創出のためのプロセスを記述してみて下さい。そして改善の余地があるかどうか検討してみて下さい。