連載記事 飯塚悦功
第3回 品質に関する正義(2)

「品質に関する正義」の話題を続けます。

1. 市場原理

1.1 マーケットイン

品質に関する正義の第一は「顧客満足」という思想・行動原理であるとして、その満足を与えるべき「顧客」は誰なのかという主題について考察してきました。次は、逆に顧客が満足するものは品質が良いと言えるのかという問題について考えてみます。「市場原理は正しいのか」というお題と考えていただいても結構です。

品質の良し悪しはお客様が決めると言いました。それはすなわち、よく売れるものは品質が良いという意味になります。でも、それは本当なのか、という疑問です。エイズのコーティネータとの対談で、彼女が、何も分かっていない患者の期待に応える必要があるかと疑問を持ったのと同じような問題です。これをマーケティングの原則からも考えてみたいと思うのです。

お客様は正義なのか、お客様のおっしゃることはすべて正しいのか、という問いかけとも言えます。そうでないかもしれませんが尊重しなくてはいけない、というのが顧客満足の議論での結論でした。これが市場原理と言われるもので、取引の本質に照らし、原則としては正しいのですが、いろいろ考慮しなければなりません。

「マーケットイン、プロダクトアウト」という言葉がありますが、これと関係します。この言葉は、品質分野ではなくマーケティング分野の専門用語です。「マーケットイン」というのは、市場が要求するものを提供するという意味、「プロダクトアウト」はできたものを押しつけてしまえという考え方です。当然のことながら、マーケットインのほうを推奨しています。

でも、マーケットインというのは儲けにくいことに注意しなければいけません。市場が要求するものを提供しても儲からないことがありえます。バカ正直にお客様のいう通りのものを作っていたらだめです。私は、こんな「お人好しマーケットイン」会社を見たことがあります。あるシステムの一部の部品、ユニットを提供していて、それなりに品質が良く、対応もよかったので、「これも作ってくれないか」と自社にとって不得手な分野の技術が必要な製品の提供を打診されました。売り上げが増えるので引き受けると、お札をいっぱい付けて提供しなければいけなくなってしまいました。

お客様に望まれても、不得手な分野に手を出してはいけないという意味です。プロダクトアウトというのは、押しつけには違いありませんが、自分が得意なもの、自分が技術を持っているものを売ることができるという面があることを忘れてはいけません。

いちばん儲かるのは、自分が得意なものが売れて、それをお客さんが喜んでくれることです。顧客ニーズ、そして自分の保有技術を考えて、得意技を活かして、顧客ニーズを満たす製品・サービスを探すべきです。ですから、プロダクトアウトというより「コンセプトアウト」と言うべきかもしれません。お客様のニーズを斟酌しながら、「自分の得意技を使えばこんな製品・サービスになるのだが、これでいけるのではないか」と考えて提案するということです。

お客様が本当に望んでいるのはこういう製品・サービスです。とくに専門メーカーに期待するのは、専門的技術、将来の技術動向を踏まえ、かつ顧客のニーズの動向を踏まえた製品、技術の提案です。成熟した経済社会においてはとくに、こういう売り方ができなければだめです。

1.2 エロ本は品質が良いか

さて、市場原理の原則は「売れるものは良いものだ」ということですが、これは常に正しいのでしょうか。ここで少し考えてみたいのは「倫理」についてです。

取引においては、価値が移動して、関係者はみなそれなりに満足します。その原則は自発、自由だと思います。各々が、それぞれの価値基準で好きなものを買う、これが市場原理です。これを押し進めると「売れるものはよいものだ」という結論になります。これが本当だろうかという問いかけです。

例として適切ではないかもしれませんが、「エロ本は品質が良いと言えるか」というお題に皆さんはどう答えますか。自身の最終講義のときにこの例を出して、最終講義なのに、とんでもない先生だと顰蹙を買いました。まあそれはともかくとして、たぶんエロ本はよく売れます、欲しいという人が大勢いるに違いありませんから。でも私は、品質の良い本とは思いたくありません。だから、「よく売れる」の前に「公序良俗に反しない限り」という限定修飾語をつけたいと思います。品質がよい製品とは「公序良俗に反しない限りよく売れるもの」と言いたいということです。

「品質が良い」ということに何らかの「真っ当なもの」という概念を加えたいと思います。お客様は満足していても、そのお客様は、必ずしも、賢く高潔な方ばかりではないでしょう。妙なものを望んだ場合に、それをそのまま提供したくありません。医療において「苦しい。殺してくれ」と言われて殺さないのは、お客様の真のニーズが「殺してほしい」というところにあるのではなく、「苦しみを取り除いてほしい」というところにあるからですが、エロ本の場合は、心の底から望んでいても、売りたくありません。

エロ本に限らず、お客様のニーズが間違っているとき、何とかして良い方向に誘導したいと思います。そのときは分からなくても、たぶん長い目で見たとき、広い視野で見たときには、納得してもらえると思うのです。

品質とは顧客満足と言っても、こんな側面があるので、品質が良いとは何かという問いに対する答えを複雑なものにしています。難しさの根源は、品質の定義を顧客の価値基準に求めても、そのお客様が必ずしも賢くないので、これを克服しなければならないところにあります。それでも、長い目、広い視野で見ればお客様の判断は正しいという考えは捨てたくありません。

顧客志向の考え方は、市場原理に基づく思考・行動を導きます。では、よく売れるものは品質が良いと言ってよいのかというと、ことは簡単ではありません。「公序良俗に反しない限り」という限定修飾句を付けたくなります。これは、顧客は常に「正しい」判断をするとは限らないという認識に立つからです。それでも顧客ニーズは尊重したいと思います。ここに品質論の難しさの一面があります。

市場原理は正義か、というお題は、民主主義は正しいのか、という議論に似ていると思いませんか。民主主義と衆愚政治はときに紙一重ですし、ポピュリズム(大衆主義)の危うさもいまや現代社会における現実の懸念となっています。ギリシャの(直接)民主主義がうまく機能した時期は、実を言えば、民主主義の政体を取りながら、賢くも高潔な独裁者が、有権者を健全な意思決定に誘導した時代です。意思決定の構造は衆愚政治と言えなくもないのですが、独裁者が大衆を「愚」でなく「賢」に誘導したので衆愚にならずに、理想的民主主義などと評価されました。民主主義とは一体何なのか、と複雑な思いにかられます。

2. 価値の認識

2.1 当たり前品質・魅力品質

次に話題にしたいのは「価値の認識」です。品質とは、顧客が認識した価値に対する顧客の評価だと申しましたが、製品・サービスを通して提供される価値を顧客はどう認識するか、すなわち、顧客がどう思い、どう判断するかを問題にしています。要は、顧客が品質の良し悪しを判断するとき、それは心理的な認識に基づくものだということを指摘したいのです。

製品提供側は、それがどんな製品であるか認識するとき、例えば、どんな形状で、長さはどのくらい、重さは何キロ、何グラムなどと考えますが、とくにコンシューマプロダクト(市場型製品)の場合には、顧客は心理的にどう感じるかで判断していると考えられます。

世の中が成熟し、技術的にも完成度が高くなってくると、製品の物理的性質はほとんど同じになり、感性品質、フィーリングが重要になるというような面もあります。製品に対するこうした認識が広まり、多くの顧客の共感が得られると、それが製品やひいては会社のブランド(イメージ)につながります。製品・サービスを提供するにあたり、顧客に「どう認識されたか」ということこそが重要だということです。

ブランドにつながる、このような品質のとらえ方を最初に指摘したのは、「魅力品質」「当たり前品質」という概念を提唱した狩野紀昭先生だと思います。ブランドということに最初から言及したわけではありませんが、絶対の信頼を約束する「当たり前品質」や、顧客の心をつかむ「魅力品質」の蓄積がブランドにつながることを示唆していました。

図表1をご覧下さい。横軸が物理的充足状況(性能が良いとか悪いとか)、縦軸が顧客の満足感を表しているとします。普通は、物理的性質が良ければ満足を感じ、悪いと不満を感じると思うかもしれませんが、そうではないものもあります。例えば、品質特性のなかには、良くて当たり前、もしダメなら大きな不満を感じるものがあります。この心理的充足感と、製品・サービスの性質がもたらす物理的充足状況の関係の研究から、狩野先生は、「当たり前品質」「魅力品質」という概念を提唱したのです。


「当たり前品質」とは、物理的な性質が満たされていても当たり前で特に心理的な充足感は与えないが、不十分であると不満を感じるような特性をいいます。製品・サービスの基本的特性がこの性質をもつものと考えられます。例えば、自動車におけるブレーキ故障、エンジン始動トラブルなどです。これに対し、物理的な性能が多少悪くてもそれほど不満を感じず、性能がよいと満足するような品質特性を「魅力品質」といいます。例えば、車を長時間運転したときの疲労感のなさなどです。関連して、物理的充足状況と心理的満足感が比例する関係にある品質特性を「一元品質」といいます。例えば、車の走行性能などです。また、心理的満足感が物理的充足に関係しないような品質特性を「無関心品質」といいます。これらの概念は、品質設計において有用です。魅力品質によって売上増に貢献し、当たり前品質はクレーム発生に直接関係します。

狩野先生は、こうしたことを1980年代半ばぐらいに検討したのですが、論文にするにあたって、この概念の妥当性を検証するために題材に取り上げた商品はテレビでした。1980年代半ばのテレビです。「故障」は、当然、当たり前品質です。一元品質と言えるものは「絵がきれい」とか「音が良い」とかでした。笑ってしまうのは魅力品質の例です。何と「フェザータッチの有無」とか「リモコンの有無」だったのです。

フェザータッチって分かりますか。分かる方は、お若くないはずです。まだ衛星放送がないころのVHFの12チャンネルからガチャガチャ回してチャンネル選択するのを、一列に並んだチャンネルの該当するのを押すことで、順に回して行かなくても一発で選択できる方式です。いまではリモコンは当たり前だし、フェザータッチなんてありません。

それが当時は魅力品質だったのです。こんなことから、技術の進展によるニーズの充足によって、品質の感じ方が時代とともに変化するということが示唆されます。この世に出回って間もない新たな概念・価値を訴求する製品であると、物理的特性が良くても悪くても、心理的にはそれが優れているとか劣っているとか、何も感じません。ところが本当に価値あるものだと、一部のお先走りがこれは良いと思うときが来ます。それがもう少し広まってくると一元的になってきて、普及してしまうと当たり前になってくるという仮説です。

自動車のABS(アンチロック・ブレーキ・システム)という機能は、昔は高級車にしか装着されていませんでしたが、いまでは軽自動車にも付いています。ABSとは、タイヤと路面の摩擦抵抗が低い状態でブレーキを踏むと、タイヤがロックして滑るだけになってしまうので、意図的にトルクを弱める機能です。実は、私は1回助かったことがあります。濡れた下り坂でのことです。

そのABSは、いまでは遅れているとは言わないまでも常識的な技術で、トルクを弱めるだけではなく、もっと積極的に、然るべき車輪を駆動するような制御をすれば性能は格段に上がります。この制御を4輪それぞれに行えばすばらしい車ができます。氷の上でも真っすぐ止まりますし、急ハンドルを切りながらブレーキを踏んでも、きちんと曲がっていくような車を作れます。そうした技術の走りとしてのABSが開発されたときは、魅力品質でした。しかし、いま先進国市場では、一元品質、あるいは当たり前品質かもしれません。

品質を考えるとき、感覚としての心理的特性と物理的特性の関係を考えなければならないということです。「うちの製品は物理的にいいから」といわれても、それが本当にお客様にどう感じていただいているのか、物理的特性と心理的特性との関係を知っていないと、本当良い製品は企画できないということになるわけです。

社会インフラともいえるサービスのレベルについて、自治体の住民サービスを例に取り上げて魅力品質・当たり前品質の視点で考えてみると面白いかもしれません。住民サービスにおける当たり前品質は、何といっても迅速、正確な事務処理でしょう。魅力品質は、高度な専門性に基づく的確な指示・アドバイス、心温まる対応、窓口のアメニティ、素人にも理解できる懇切丁寧な説明などでしょうか。

いや、これらの一部は、当たり前品質とはいわないまでも、一元品質というべきかもしれません。つまり、期待を抱いていても通常は満たされないことを経験すれば魅力品質となるし、期待を抱いてもそれほど裏切られないなら一元品質、ほぼ満たされるなら当たり前品質となるのでしょう。品質のレベルに対する認識は相対的なものですので、いつでもどこでも期待してよいのなら当たり前になり、そうでなければ魅力的となります。その意味で、自治体サービスにおける当たり前品質、魅力品質とは、その国、地域の住民サービスのレベルを表現する一面をもち合わせているといってよいかもしれません。

私はいまJABにいるのですが、第三者適合性評価制度における認定機能の質について考えてしまいます。当たり前品質、魅力品質とはどのような側面を言うのだろうか、これが制度の成熟度向上に従ってどのように変化していくのであろうか。何を当たり前と受けとめ何を魅力と感じるかが、この社会制度の成熟度レベルを表しているのだろうか、などと考え始め、その特性・側面の例を挙げようかと思ったのですが、私自身の考えの整理がつかなくて、自治体サービスでごまかしてしまいました。

2.2 真の品質特性、代用特性

実は、物理的特性と心理的特性の関係について深く考えるべきであるということは、近代の品質管理論の初期から指摘されていました。品質論の原点の一つと言えるものです。それは「真の品質特性」と「代用特性」というものです。

私が学生のころ、あの石川馨先生の授業でその話を聞きました。お客様が言う品質特性と、製品提供側が言う品質特性の差が主題です。大学での品質管理の授業の最初の方でした。数えてみれば48年前になります。

新聞社が使うロール紙の強度を例にしての話でした。新聞社は輪転機ですごいスピードで印刷して新聞を作ります。高速で印刷するため転写性の良い乾きにくいインクを使いますので、新聞を読むと手が汚れます。それはともかくとして、顧客である新聞社は、そのロール紙に対して、高速で印刷しても「破れない、切れないロール紙がほしい」ということでした。

これに対しロール紙を納入する製紙会社は、JISの○○規格の○○試験法での破断強度が○○kg/cm以上だから大丈夫です、と言ったそうです。ここで、石川先生は、破断強度は技術的な特性で「代用特性」に過ぎないと言うのです。「破れない、切れない」というのが「真の品質特性」で、これを満たすのが目的で、そのために代用特性についての品質目標を定め管理するとの教えでした。大学というのは、もっと高度な美しい理論を学べるところと思っている紅顔の美少年(?)ですから、正直なところ「なんじゃい、これは?」と思いました。でも、その教えは深遠です。

「代用特性」とは、私たちが設計し実現し検証できる技術上の特性のことです。それに対し「真の品質特性」とは、顧客が認知する、多くは心理的、感覚的な品質特性です。代用特性と真の品質特性という概念を明確に区別し、真の品質特性を実現するために、どのような代用特性をどのレベルにすべきかを考え、これを合理的に決める行為こそが設計であり、だから設計という仕事は、ときに「仕様化」と言われる、というようなことを学びました。

2.3 QFD(品質機能展開)

この思考プロセスを解剖し、どのようなロジックで何をすることになるのかを明らかにし、方法論として提案したのが、1970年ごろに使われ始めたQFD(Quality Function Deployment、品質機能展開)と言えます。QFDは日本で開発された偉大な品質管理手法です。

私は、英語が得意とは言いませんが、この概念を提案した先生方を尊敬しつつも、この名称は、英語としても日本語としてもあまり良くないなぁと思ってしまいます。それにしても、考え方と手法の枠組みは素晴らしいものです。名称のなかに機能functionを入れたのが、名が体を表さない名称になった深因と思っています。QFDには、製品品質の展開と、品質機能(品質に関わる経営機能。企画、設計・開発、製造、調達、販売・サービスなど)への展開という2つの意味が込められています。いずれにしても、勝手に名前を変えるわけにもいきませんので、名称にとらわれずにその本質を理解したいと思います。

QFDというのは膨大な手法の体系ですが、製品品質の展開のうち、その最も基本的な、最初に作成する「要求品質展開」と「品質表」が重要です。

「要求品質展開」とは、お客様の要求の構造を明らかにするために、何が望まれているか顧客ニーズを木構造(Tree構造)で展開していくことです。機能・性能が優れているとか、操作性が良いとか、デザインが良いとか、感じ良いとか、便利な付加機能がついているとか、安全だとか、多少厳しい使用・環境条件でも使えるとか、お客様が要求すると想定されるいろいろな側面について、美しい構造で可視化します。また、その要求を満たすために設計すべき製品についても、製品特性を構造的に表現します。大きさ、形状、重量、出力性能、耐性などを、やはり木構造で展開します。その上で、要求品質展開と製品特性展開の関係を理解していきます。その関係を記した表が「品質表」と呼ばれるものです。

顧客の要求を製品品質特性に反映させるための「品質展開および品質表」の典型的な形を図表2に示しておきます。


QFDとは、要求品質が目的、製品特性が手段であって、お客様の要求を満たすために製品特性についてどのような設計仕様にすべきかを決めることが重要であると認識し、要求を満たす手段の指定という意味での設計を適切に行うため方法論と位置づけられます。

「設計」という言葉を聞くと、胸騒ぎを覚える方も多いことでしょう。にわかには賛同していただけない方が多いかもしれませんが、私は、設計とは「要求を満たす手段の指定」であると考えています。こんなものがほしいという要求を満たすために、材料はこれを使い、こんな構造・形状にして、大きさはこれで、などと製品仕様を決め、必要なら設備仕様、工程の良品条件を決めることになります。「要求を満たすため」という本質を念頭に置いておくと、設計という行為を考察するとき頭の整理になると信じています。

さて、少々冗長になりますが、QFDの意義を再確認しつつ、QFDの本質について整理しておきます。製品を企画・設計する過程は、日常用語や行動で表される顧客の要求を、製品全体およびその製品を構成する部分に対する技術的仕様に変換する過程です。この過程において重要なことは、次の2つです。

・ 変換の前後における、顧客の要求品質と製品の技術的仕様として必要な項目を抜けなく列挙すること
・ 変換の前後における、顧客の要求品質と製品の技術的仕様の間の関係を正しく把握すること

「要求品質展開」において、顧客の要求品質を一般的なものからより具体的なものへと分解します。このことによって、思考の範囲を限定しながら、顧客の要求品質を体系的に列挙することができ、したがって抜け落ちを少なくすることが可能となります。製品の品質特性の展開においても同様の効果が期待できます。

「品質表」においては、顧客の要求品質と製品の仕様が表の形に整理され、表中にこの両者の関係のあり方が表現されます。この表を作成することによって、顧客の要求品質がどの製品仕様に反映されるか、どんな関係があるか、関係の不明確なものはどれかなどが分かり、したがって変換の誤りを減らすことが可能となります。

QFDを用いることによって、製品企画および設計の質の向上が期待できます。それは、この手法が「真の品質特性」と「代用特性」の区別を具現化するものだからです。製品の提供者によって述べられる技術的仕様は単なる代用特性であって、顧客が望む真の品質特性とは別ものです。製品の提供者は顧客の満足が得られるように製品の技術的仕様を定めるのであって、これは顧客の満足という最終目的を達成するための手段です。この手法には製品設計の根幹に関わるこのような基本的な考え方が内在しているのです。

この本質が理解できれば、品質展開および品質表を適用する際には、まず、顧客の要求品質の展開にあたって、製品提供側の技術用語を使わず、顧客が用いる日常用語によって表現することにこだわるべきことが分かります。上述した新聞用ロール紙の「破断強度」と「破れにくさ」は似ているけれど違うということです。

製品のベンチマーキング(benchmarking)をするとき、技術的仕様を比較することが多いようです。完全に間違っているとは言いませんが、ポイントを外していると思います。ベンチマークする対象は製品を通してお客様に提供している価値のはずです。その技術仕様によって実現できた製品に対する要求への適合、ニーズの充足のレベルで比較すべきです。そうであるなら、要求品質展開によって展開され、重要と判断された項目のレベルで比較すべきです。

また、顧客が要求する品質には多様な側面があるので、機能・性能のみならず、信頼性、安全性、使いやすさ、感性品質など広い考慮を払って品質展開すべきです。さらに、要求品質と製品特性の関係を表にまとめるときには、「関係が不明である」ことが重要なことも明らかです。希薄な根拠で関係のありさまを示す印を付けるのではなく、現在の技術レベルで関係が不明な部分について調査・解析を行うべきです。

品質とは、お客様に提供した価値に対するお客様の評価であるという考え方を受け入れるなら、それは、お客様が、提供された製品の技術的特性そのものを評価しているのではなく、その技術的特性によって実現された製品の特徴・特性に対してどのような価値を見出したかを表しているのだと考えるべきです。これは、お客様の真のニーズを把握するという点で非常に重要で、成熟した社会であればあるほど考えなければならないことです。どのような価値を提供できているのかを考えることが、ブランドという概念につながると思っています。

現代の成熟経済社会においては、製品そのものより、どんな人々がどんなスタンスで作ったかが評価されるようになっていくでしょう。どの会社が企画・設計したものかによって、何となくこんな製品だろうなぁと思えてしまう偏りが生じるかもしれません。提供する側としては、そのような自社にとって良い意味での偏りのある評価になることを狙っているわけで、こうした努力を続け、実績を積み重ねていきたいものです。それがブランドというものではないかと思います。

3. 品質の見方・とらえ方

3.1 設計品質/適合品質

さて、次は、品質の側面、品質の見方・とらえ方に関する話題を取り上げます。まず「設計品質/適合品質」という概念について考えてみます。品質とは、製品・サービスを通して顧客に提供した価値に対する顧客の評価、と申して来ました。ザックリ言えば、品質が良いと言えるためには顧客満足が実現できていなければなりません。その「顧客満足」のために、少なくとの2つの側面を考える必要があるというのが、ここでの主題です。2つの側面とは「設計品質」と「適合品質」です(図表3)。


顧客に満足してもらうためには、製品・サービスの設計が顧客の要求に応えるものでなければなりません。そして、現実に顧客に提供される製品・サービスが設計通りのものでなければなりません。顧客の要求が製品・サービスの設計にどれほど反映されているかが「設計品質」です。そして、現実の製品・サービスがどれほど設計に合致しているかが「適合品質」です。工業製品の場合、適合品質は「製造品質」と呼ばれることもあります。

前節のQFDの項で申し上げましたように、設計とは「要求を満たす手段の指定」といえます。ですから、設計の結果を仕様(スペック、specification、specifyする(=指定する)こと)と言ったり、設計行為を仕様化と言ったりします。車の設計とは、車に対する様々な要求を満たすように、どのような材料を使い、どのような形状・寸法にして、どのような機構にするか、またどのように作るか、それらの仕様を決めることです。設計品質とは、多様な顧客の要求をどの程度満たす設計になっているかどうか、その程度を意味します。

一方、適合品質とは、実際の製品・サービスがどのくらい設計の指定通りにできているか、その程度です。適合品質(製造品質)は品質の基本ではありますが、この2つのどちらが重要かと問われれば、設計品質と答えざるを得ません。設計品質が悪くて適合品質が良いと、お客様に喜んでもらえない、つまりは売れない製品・サービスを、組織をあげて整然と作り提供し続けることになります。

実は、製品・サービスの品質の側面は、設計品質/適合品質の2つにとどまらず、全部で4つあると考えるべきかもしれません。それは「企画品質」「設計品質」「製造品質」「付帯サービス品質」です。企画品質とは、ニーズの把握・分析・定義の質です。すなわち、製品・サービスのコンセプト、製品・サービスとして実現すべき品質目標の妥当性です。付帯サービス品質とは、製品・サービスに付帯するサービス、例えばアフターサービスなどの質のことです。

設計品質/適合品質という品質の2つの側面は、「計画の品質」と「実施の品質」、あるいは「ねらいの品質」と「ねらいとの一致度合い」と言い換えてもよいでしょう。すなわち、計画(実施しようとしたこと)がどれほど目的に合っているかと、実施(現実に実施したこと)がその計画にどれほど合っているかです。私たちが行う様々な活動に対して、この2つの側面があるという視点は有益です。

例えば、目的・目標を達成できなかったとき、まずは、計画すなわち目的・目標を達成するための手段・方法・目論見に不備があったのか、それともその計画通りに実施できなかったからなのか、どちらなのかに問題を切り分けてみるとよいでしょう。そのあと、計画の問題、または実施の問題の原因究明をすることになります。

私はゴルフをしますが、パットでは、下手ながらもラインを読みグリーンの速さを考慮してどう打つか考えてから打ちます。入らなかったとき、読みが違っていたのか、それとも思った通りに打てなかったのかを振り返ります。これは問題を計画と実施の質に切り分けていると言えます。もっとも、両方とも間違っていて、入ってしまうこともあるので、ことは単純ではありませんが。

3.2 業務の質

品質管理は、品質を品物の質にとどまらず、あらゆる考慮の対象の質と考えることによって、大きく領域を広げ、効果を大きなものとしてきました。製品・サービスの品質を達成するためには製品・サービスを生み出すプロセスの質を問題にしなければなりません。ここからプロセスの質という概念が生まれます。同様にして、何らかの成果を生むために実施している業務、仕事の良し悪しについて考えるとき、業務の質、仕事の質という言い方をします。

このようにして、品質を考える対象を、製品・サービスから、工程・プロセス、システム、業務、仕事、人、組織などに拡大し、これらの管理・改善活動につなげるのは、品質管理の発展の歴史の必然でした。製品品質に限らず、コストや納期などを決定づけるプロセスの改善も、そのプロセスの品質を改善することにほかならず、結果として、品質管理は企業の体質改善の道具として発展することになりました。

業務の質、仕事の質、プロセスの質、システムの質が良いとはどういうことを意味するのでしょうか。例えば、業務の質について、設計品質、適合品質という視点で考えてみましょう。適合品質とは、業務手順への適合の程度です。要するに、業務手順に定められている通りに実施したかどうかを問題にしています。一方で、設計品質では、業務手順が業務目的を達成できるようなものになっているかどうかを問題にしていることになります。

「品質概念」とは目的志向の考え方にほかならない、と申し上げてきました。業務の質を考えるときにも、その業務が業務目的を達成するようなものであったかどうかを問題にしています。そのためには、業務手順が目的を達成できるようなものであり(=設計品質)、その手順通りに実施する(=適合品質)ことの両方が必要です。

「後工程はお客様」という格言について考察したとき、最も重視したのは業務目的でした。その目的は、後工程(群)が自身の工程からのアウトプットをどう使うか、どうなっていれば良いと言えるのか、という検討によって明確になります。業務の質が良いと言えるかどうかは、こうした考察を経て明らかになっていきます。

1960年ごろからの四半世紀、工業製品の大衆化による高度成長期にありながら、経済的に急激に強くなったからこそ対処しなければならなかった貿易自由化、資本自由化、ニクソンショック(円ドル為替レートの変動相場制への移行)、オイルショック(原油価格の大幅値上げ)など、経済的に厳しい情勢にあって、日本経済が比較的順調に成長してきた理由は何だったのでしょうか。それは、この経済成長を支えた工業界が、短期的財務の視点で経営に取り組むのでなく、顧客に受け入れられる価値ある製品を継続的に提供することができるような「マネジメントシステム」の構築を企業の体質改善と称して取り組んできたことが挙げられるでしょう。「マネジメントシステムの質」を向上するという方法論を編み出す源泉となった、品質の考え方は、なかなかのものと思います。

1990年代半ばに、それまでTQCと呼ばれていた総合的な品質管理がTQMと呼ばれるようになったことは第1回で触れました。その呼称変更で強調されたのは、製品・サービスを生み出すためのプロセス、システムだけでなくて、企業・組織の存在や活動そのものの品質、つまりは「経営の品質」「組織の品質」の向上でした。それが企業・組織の社会的責任(Corporate Social Responsibility)、企業統治(ガバナンス、Corporate Governance)、説明責任(アカウンタビリティ、Accountability)などの概念の普及につながっていったのです。

元をたどれば「業務の質」、あるいは何ごとにも「質」を考えることができるというとらえ方が、経営や管理におけるこのような発展を促したのだとするなら、「品質」というのは実に意義深い概念であると思います。

4. 品質の経済性

4.1 品質への投資

品質に関する正義の話題の最後に「品質は儲かるのか」という話題を取り上げます。その昔、検査によって品質の維持・向上を図ろうとするのが常識的なころ、品質にはカネがかかると考えられていました。そりゃあそうです。品質を良くしようとして、検査を厳重にすれば、相当なコストが必要になりますから。

でも、もし始めから品質の良いものを造るとすれば話は変わってきます。良いものを合理的なコストで造ることができれば、品質とコストを両立することが可能になるはずです。まともな品質のものを提供しようと思ったら、それなりの投資(コスト)が必要です。これをサボると、いわゆる「品質ロス」が生じます。

品質のために必要なコストについては、アメリカにおいて「品質コスト」という概念が提唱され、長いこと品質管理の主流でした。興味深いことに、日本はこの概念と手法にはさほど深い関心を寄せませんでした。1970年代にいくつかの会社が適用を試みて、特筆すべき効果がなかったからです。

品質コストの理論では、品質コストは、「失敗コスト」「評価のコスト」「予防のコスト」の3つから、さらに失敗コストは「外部失敗コスト」と「内部失敗コスト」から構成されるとされています。コストの総額が売上の3%ぐらいがよいなどと言われました。しかし、評価や予防にどれくらいかけるかは投資の問題であって、コストと考えるべきではないでしょう。経験的に3%程度がよいと言われてもイマイチ説得性に欠けます。それでも、失敗による損失をコストとして把握することは有効で、この金額だけはしっかり把握していました。でも、失敗による損失はそのコストにとどまらず、その数倍から一桁上の損失と考えるべきで、失敗コストの目標をどの程度に置くかはなかなか難しかったようです。

品質に関わる損失については、前回の1.3(品質中心経営)で触れました。品質ロスは「内部ロス」と「外部ロス」に、また「目に見えるロス」と「目に見えないロス」に分けられます。目に見える外部ロスの典型は、顧客の苦情・クレームに関わる損失です。目に見える内部ロスの典型は、不良、不適合に関わる損失です。

品質ロスで関心を寄せるべきは目に見えないロスです。目に見えない内部ロスとして大きいのは、実は失敗の手直しによる機会損失です。品質に起因する問題の処置に貴重な人材が浪費され将来に向けた活動が十分にできなくなるという損失です。目に見えない外部ロスの典型は売上の減少です。顧客から苦情・クレームが来るうちはまだよいと言えます。高価でない製品・サービスでは、顧客は不満があれば黙って去っていくだけで、大した苦情もないのに売上げが徐々に減ってくることもあるという点で品質は重要です。不十分な「顧客満足」による損失と言ってよいでしょう。

私は、「経営における品質の意義」は3つあると思っています。第一に、品質の良し悪しはお客様が決めるということです。お客様が満足するような品位の製品・サービスを提供すべきであって、いわゆる過剰品質は避けるべきです。第二に、品質で失敗をすると大きな損失(ロス)があるということです。これは上述しました。目に見えない外部ロスは売上減少を招きます。目に見えない内部ロスは機会損失を招きます。これらのロスを合理的なレベルにするために品質のためにある程度の「投資」が必要です。第三に、品質はシステムで造り込むようにするのが得策だということです。始めから良いものができるように合理的なシステム設計をすべきです。

これらが成立しているとき、「品質」と「コスト」は両立します。というか、然るべきアウトプットを得ようと思ったら、合理的なコストをかけるべきです。それは、コストというより投資というべきです。リターンが欲しければ、それなりの投資をするのが事業というものです。そのリターンを左右してしまうもの、それが品質、すなわち価値の受取手の評価なのです。

4.2 経営における品質

「品質」は、上述した投資という視点を抜きにしても、経営における中心的関心事であるべきです。

組織は、その活動の主たるアウトプットとしての製品・サービスを通して顧客に価値を提供し、それによって対価を得て、そこから得られる利益を再投資して価値提供の再生産サイクルを維持しているものと考えられます。持続的顧客価値提供という考え方こそが、社会的存在として意味のある組織が、長期的・安定的に存続しようとするときの基本的考え方となるものと思います。この考え方を是とするなら、とにかく製品・サービスが顧客に受け入れられるようなものでなければ何も始まりません。しかも、短期的にではなく長期的に幅広い顧客に満足を与え続けなければなりません。したがって、価格を含めて製品・サービスの品質が経営において重要なのは当然のこととなります。ここでいう品質とは、まさに顧客に受け入れられるという意味であり、これこそが品質管理における基本思想の「顧客志向」という哲学なのです。

品質を経営の中核に位置付ける根拠は、品質の根源性にあります。製品品質に限定してみても、狭義の品質は原価、納期・量、安全、環境などあらゆる製品・サービスの特性に影響を与えます。一見すると原価や納期の問題に見えますが、多くの場合その根本原因は品質にあります。品質が達成できないから、原価上昇につながり、品質目標を達成するために手戻りが生じ納期遅れとなるのです。

この連載講座で繰り返し解説することになる品質の深遠なる意味が理解できれば、品質管理の方法論を用いることによって、経営、組織運営におけるあらゆる質的問題をその管理対象とすることができます。

さらに、品質は原価、納期など他の管理対象と比較すると、概念としてはるかに根源的です。狭義の品質が原価、納期などと矛盾するとき、品質を重視することは品質の根源性ゆえに大きな過ちには結びつきません。長期的かつ広い視野に立つ場合、この品質を重視するという行動原理は多くの場合ますます正しいと言えます。

私は、何人かの経営者の方に「飯塚さん、品質って面白いんですよ。私がもっと儲けろ、もっとたくさん作れ、もっと生産性を上げろ、もっと安くしろなんて言うと、そんなことをしたら……、と望ましくない副作用についていろいろ言ってきます。でも質を上げろ、仕事の質を上げろと言っても、それほどの反論は上がって来ないんですよ」と言われたことがあります。品質というのは、組織的改善・改革を推進する際の「プラットホーム」「求心力」となりうる経営アプローチだということです。

品質を達成するためには、いわゆる管理、マネジメントが必要です。その基本は「システム志向」です。システム(プロセス、リソース)を管理の対象にするという行動原理は、結果を生み出す要因系に焦点をあてるという意味であり、これは効果的・効率的な管理のための普遍的な原理です。

“quality management”という概念と方法論の深化・拡大の過程で、これが“management for quality”(品質のための管理)または“quality of management”(経営の質)のどちらを意味するかという議論が起きました。例えば「経営品質」といういい方をしたときには、経営の質を意味しています。私は、“management for quality”(品質のための管理)と考える立場をとっています。すなわち、マネジメントの質、経営の質、管理の質、組織の質についてではなく、品質の良い製品・サービスを提供するための管理(経営も含む広義の管理、マネジメント)はいかにあるべきかを考察することだと思っています。

上述しましたように、組織は顧客に価値を提供するために設立され活動を行います。その価値は、製品・サービスに内包され、製品・サービスを通して顧客に提供されます。その製品・サービスの質のためには、それを生み出すシステムに焦点をあて、品質のためのマネジメントシステムについて考察することが本質的です。こうした考察の末に導かれるマネジメントシステムモデルは、理の当然として、総合的・包括的なものとなります。結果として、組織のブランド価値、業績の向上につながるでしょう。「品質のための管理」とは、「顧客価値提供のための総合的な管理」を意味することにほかなりません。

このモデルは、結果的に、マネジメントの質、組織の質の考察から導かれるマネジメントシステムモデルと同様のものになることでしょう。しかし、システムモデルとしての意義は、似て非なるものです。製品・サービスを通して提供しえた価値に対する評価としての品質という目的のために、その手段系としてのマネジメントシステムがいかにあるべきかを考察することは、マネジメントや組織にはどのような多様な側面があるかという考察に基づいてマネジメントや組織の質を導出することとはまったく異なります。(図表4)


4.3 品質は利益の源泉

今回の主題「品質に関する正義」についての考察を、先月、「価値の提供」から始めました。そのとき「利益」の話を持ち出しました。私は、「利益は経営の目的ではない」と言って、一部の経営者から顰蹙を買ったことがあります。「飯塚さん、冗談じゃない。経営の目的は利益なんですよ。霞を食って生きて行くわけにいきません。利益を出さなければ、経営者の資格がないんですよ」と猛反発を受けました。

私は、静かに反論しました。「利益は、顧客価値提供という活動の総合的な評価指標であり、また価値提供の再生産サイクルの原資であると考えるべきではないでしょうか」と。このとき強調したかったのは、製品・サービスを通して顧客に提供した価値に対する評価である「品質」は、その「利益」に貢献するということでした。「品質が良いと儲かる。品質管理をまじめにやると儲かる」と言いたかったのです。「品質が良いとは顧客満足だ」という原則、そして品質管理による「品質達成のための合理的活動」ゆえに、品質と利益は両立するということです。

長い目、広い視野で見ると、品質というものが、儲かる会社の条件だというのは理解できます。でも、短期的には、儲けるために品質を落とすなどいろいろな手があり、だからこそ、腹の底から理解するのはなかなか難しいことです。

一昔前に、BSCというのが流行しました。バランスト・スコア・カード(Balanced Score Card)のことです。経営業績を見るときに、財務指標ばかりでなく、広く見なければいけないと言っています。財務の視点、顧客の視点、プロセスの視点、学習と成長の視点という4つの視点を挙げています。

経営=財務と考えている経営者に、健全な財務体質を生み出す構造、メカニズムを説明していますので、これは有益な考え方です。この4つの視点というのを少しデフォルメし、学習と成長というのを経営システムにおけるリソースと読み替えると、財務業績を上げるためには顧客満足が必要で、そのためにはプロセスとそのプロセスに投入されるリソースが重要だという方程式として表現できます。

儲けるためには、提供する製品がお客様に受け入れられて買ってもらえなければ始まりません。そのためにはお客様を本当に満足させなければなりません。そうできるためには、お客様に満足を与える製品を提供できるような経営システム(プロセス+リソース)を構築し、きちんと運営していかなければいけないという、こんな図式です。

このBSCを補強する説明として、経営における価値提供に焦点を当てることも考えられます。組織は製品・サービスを通して顧客に価値を提供するために設立されます。製品・サービスそのものを売っているわけではありません。製品・サービスを通してお客様に価値を提供し、その対価をいただいています。新聞社は新聞紙を売っているわけではありません。新聞紙上に記述されている情報や知見などの価値を売っています。しかも、良いタイミングで提供するからこそ意味があり、それが価値でもあります。

私は15年ほど前に、製品・サービスを通して提供する価値について面白い経験をしたことがあります。ある電子部品設計・生産会社の方に、あなたの会社の製品は何ですか、つまりお客様に何を売っているのかと聞きました。「コンデンサー」との返答がありました。私は「そんなものは売っていません。そのコンデンサーを通して、お客様にある価値を売っています。それがお客様に提供している製品です」と言いました。

顧客に売っている製品名、部品名は言えますが、提供価値が何であるかは認識していませんので、なかなか答えられません。3ヵ月ほどして、あるベテラン営業マンがこの問答に興味を抱き、顧客との様々な会話を通して、薄皮をはがすように明らかにしていきました。ベテランにもいろいろいますが、この人は浅いところで分かった積もりにはならないという賢さがあり、尊敬すべき方でした。

「なぜ競合でなくわが社の製品を買っていただけるのですか。なぜリピートオーダーを下さるのですか。わが社のどこが好ましくておつきあいいただけるのですか」というようなことを聞き出していったのです。

「絶対の信頼性」という価値を買ってくれていたのではないかということが明らかになって来ました。コンデンサーは電荷を溜めるものですが、負荷が大きすぎると火を噴いたりします。それが絶対にないという信頼感です。何かあったときにきちんと吸収してしまう能力、キャパシタンスです。

どんな仕様の部品を使えばよいかという測定、診断をする技術支援もしていました。受注獲得のために無料でサービスをしていたのですが、容量の大きすぎる高いものを売りつけるようなことをせず、起こりうる負荷条件を見極めて、的確な推奨をしていたのです。お客様はその技術を買っていたことになります。

もう一つありました。それは、どんな依頼を受けてもとりあえずは「はい、わかりました」と言って、すぐに飛んでいく小回りのよさでした。

まさに、利益は後からついてくるということです。金、カネ、かねと追いかけるより、お客様が評価して下さる価値を提供することこそが、遠回りに見えて、これが実は経営の王道なのです。

こんな例を考えてみると、あらゆる取引、ビジネスにおいて、製品・サービスを通して一体全体どんな価値を提供しているか、製品そのものではなく製品を通して売っているものが何であるかを再認識してみることが重要だと思います。それが分かれば、その価値を提供するためにどんな能力を持っていれば競争に勝てるのかが分かります。その能力をプロセス、システムに埋め込んで日常的に能力を発揮できるようにすれば、その結果として業績が向上するはずです。

経営の良し悪しを財務指標で測ることの重要性も有用性も分かりますが、実はそれは提供価値を経済価値に置き換えて金額で表しているのだと考えるべきです。そしてその金額に表現されているはずの「価値」を理解すべきです。

品質中心経営を行えば、当然のことながら顧客に受け入れてもらえるものを提供しようとします。しかも品質管理をまじめにやれば、提供する方法が合理的になります。こうしてたくさん売れ、提供する仕組みの効率が上がり、コストが下がって、収益性が向上するということになります。

先ほども言いましたように、利益には2つの側面があります。第一は、顧客価値提供活動における総合的な良さを表している尺度という見方です。結果として利益が上がるのであって、目的ではないはずです。第二は、この価値提供活動という素晴らしい行為の再生産サイクルの原資だという見方です。将来にわたり顧客価値提供を続けるために利益を得るという考え方です。

そういう意味で、品質の良い製品・サービスを提供していく、つまり提供価値に対する評価としての品質を上げていくことは、当然のことながら財務と密接に関係がありますし、矛盾するものでも何でもありません。まともな業績を上げるために、品質は正義なのです……。

問題

「品質に関する正義」の後半はいかがでしたか。以下の問いかけにどう答えますか。

[1] 品質=顧客満足という図式から、「売れるものは良いもの」という考え方が生まれますが、手放しでは賛成できかねるときがあります。顧客のニーズ・期待・要求が間違っていると思えるとき、あなたはどうしますか。

[2] 「当たり前品質/魅力品質」という考え方を、あなたが関わっている製品・サービスに適用してみて下さい。何が「当たり前」で何が「魅力」と言えるか明確になりましたか。

[3] QFD(品質機能展開)の本質はご理解いただけましたか。あなたが関わっている製品・サービスの仕様について、それがどのような要求品質に応えるためのものか考察してみて下さい。その上で、その仕様が適切かどうか検討してみて下さい。

[4] あなたの業務について、その質を定義してみて下さい。さらに、「設計品質/適合品質」(計画の質、実施の質)にどのような側面があるか検討してみて下さい。

[5] 「品質は儲かる」理論に賛同できますか。「こんなきれいごとが通用するわけがない」という反論を展開してみて下さい。そして「ひとりディベート」(自身で賛否両論の論拠を構成してみる)をやってみて下さい。もちろん同僚や友人との酒の肴にしていただいても結構です。