連載記事 市川芳明
第2回 最近のISOにおけるコンセプト規格競争

本稿は月刊アイソス2019年5月号に掲載された市川芳明氏(多摩大学 ルール形成戦略研究所 客員教授)執筆の連載記事『ビジネスの基本ルールは自ら作れ 〜コンセプト規格とSociety 5.0の標準化〜』第2回の全文です。(本誌編集部)

前回は、コンセプト標準の重要性と有用性について経営学的観点から述べた。今回は、具体的な内容とその効果をISOの実例を基にみていきたい。

ISO TC 272(科学捜査)の事例

ISO の専門委員会 TC 272は「科学捜査(Forensic Sciences)」がそのテーマである。科学捜査は警察(行政)の仕事、民間が主導する国際標準規格の世界でこのようなテーマが許されるはずがない、と思われる方もいるだろう。日本では確かにそうかもしれない。ところがこれが許されているのがいまの国際舞台である。実際、TC 272の参加エキスパートには、いわゆる「科捜研」の方々が多いと聞いている。

実はこの規格化活動、発端は綿棒の規格だったのである。2019年3月現在でこのTCから発行されている規格は3つしかない。なかでも、特筆すべきはISO 18385「科学捜査のための生体物質の収集、保管及び分析に使用する製品のヒトDNA混入のリスク最小化−要求事項」である。この規格の中には、犯罪現場から犯人を特定するためのDNAを採取する際の要求事項が書かれており、これには当然ながら警察の作業に欠かせない綿棒に対する生産管理上の要求事項が規定されている。これには興味深い背景がある。

1990年代から2000年代初頭にかけて、オーストリア、フランスそしてドイツで様々な方法で殺人現場や盗難の現場から発見されたDNAがある。女性のDNAであり、この女性は最初の殺人事件のあったドイツの地名にちなんで「ハイルブロンの怪人」あるいは「顔のない女」と呼ばれた。欧州各地の警察は必死にこの犯人を追跡し、2009年になって、ようやく屈辱的な事実に気付いたのである。それはすべての現場のDNA採取に使われた綿棒は、同じ製造工場から納入されたものであり、ハイルブロンの怪人はその工場で働くオーストリア出身のある一人の女性だったからだ。つまり、警察が科学捜査に使った綿棒に彼女のDNAが混入していただけだった。その綿棒は衛生面の配慮で除菌はされていたが、その女性のDNAは取り除かれていなかった[1]。
[1] Juliann Poff:「ISO 17025, ISO 17020, IL AC G-19, ISO 18385, What Are They & What Do They Mean For My Lab?」https://www.qualtrax.com/wp-content/uploads/2017/05/Qualtrax_Standards_White_Paper-1.pdf
この事実は、科学捜査用のDNA採取に使用される綿棒(および容器等の)汚染を防止するための規格と認証制度の必要性を正当化した。ここに目を付けた業界は当然、綿棒の業界であっただろう。綿棒は、一本1円くらいの価格で売られているものだが、もしその100倍の価格で売れる綿棒という新しい市場が構築できたとしたらどうだろうか。このTCから最初に発行されたISO 18385はどうやらそのような役割を果たしたようである。例えば、イタリアで1979年に創立され、いまは米国に本社を持つ会社でCOPAN DIAGNOSTICS INC.という会社がある。インターネットで「iso 18385 swab」と検索をかけると同社の製造する科学捜査用の綿棒「4N6FLOQSwabs」が真っ先に出てくる。この値段を調べると、100パケッジ(2本入り)で約200ドルで販売されており、一本あたり100円ほどの値段で取引されているということになる(図表1)。つまり百倍高い値段の新市場をISO 18385が作ったと言えるだろう。


さらにこのTCのテーマが「科学捜査」であることも見事な戦術だといえる。発端は綿棒だったのであろうが、今後のことを考えると、いわゆる「科捜研」に導入されている様々な機器が全てこのTCによって新たな市場を与えられる可能性があるからだ。「綿棒」、あるいは「DNA採取」にのみこだわることなく、この専門委員会のテーマを「科学捜査」と広く一般に定義したことで、このTCは巨大な市場を再定義できるチャンスをものにしたといってよいだろう。

ISO TC 322(サステナブルファイナンス)の事例

SDGsの17の目標中、7つの目標(目標1、目標2、目標5、目標8、目標9、目標10、目標13)に「ファイナンス(資金提供も含む)」が含まれている。SDGs実現のための切り札あるいは必須の要素と言ってよいだろう。そしてサステナブルファイナンスは欧州の新政策の目玉となった。実際、その元祖ともいえるグリーンボンドは既に極端な急成長を遂げている新たな金融市場である(図表2)

グリーンボンドに関しては、国際資本市場協会(ICMA)という団体がグリーンボンド原則(GBP)というルールブック[2] を策定してその金融市場を作った。
[2] グリーンボンド原則の2018年度版:https://www.icmagroup.org/green-social-and-sustainability-bonds/green-bond-principles-gbp/
ICMAは欧州が中心となり、銀行や証券会社が共同で設立した組織をベースとするが、いまは世界60ヵ国から540の金融機関、投資家、法律事務所等が参加し、いわゆるフォーラム標準を策定しており、各国政府にも影響力がある。このグリーンボンドの良いところは、認められれば低金利で100億円といったオーダーの資金調達が可能なことであり[3]、さらに投資する側にとっては自ら環境貢献活動をしなくとも、ボンド(債権)を購入するだけで、公明正大かつ定量的に自社の環境貢献を宣言できることである。
[3] 戸田建設が100億円調達した事例:http://www.toda.co.jp/ir/pdf/ir20171208.pdf

このような市場動向に対して金融大国かつISOの常連国である英国が黙って座しているいるわけはない。古くから知られるTC 207(環境マネジメント)もすかさず幾つもの規格化活動を始めた。しかし、TC 207はその適用範囲が「環境」である以上、グリーンボンド関連に絞られることが弱みである。つまり、SDGsに盛り込まれた格差是正、経済成長、ジェンダー平等、平和と公正などの社会側面を取り扱うことができない。そこを突いたのが、英国の新規TC 322「サステナブルファイナンス」の提案である。提案は可決され、昨年(2018年)に設立された。前記の欧州の目玉政策を正面から背負って立つ覚悟の専門委員会だとみなすべきだろう。しかし、ご存知のように英国はEUから離脱することが決まっていることから、その責務を中心的に担う国として認められるかどうかはやや疑問ではある。英国規格協会がBrexitのハンデキャップにどのように対応するつもりなのかは興味深い。

今回はあえて先進的な海外の事例を述べたが、日本でも既にこれに目覚めている人たちがいる。次回は日本が主導するコンセプト規格について述べたい。